震災前・震災後

元気って、もらったりあげたりするものじゃなくて、自分の中から出すものだよね?
元気が出るってのが正しい日本語で、「元気をもらう」「元気をあげる」ってのは、本来不自然な表現なのだけど、不自然ゆえに印象的なので、なんかのコピーに使われて、それでいつしか定着してしまった気がする。
震災後、いつもにまして使われる「元気をもらう」「元気をあげる」という言葉に、個人的には違和感。


そんなこんなで、ライブや演芸会、少しずつ復帰していますが、やっぱり震災直後は自分でも気づかないうちにけっこうダメージ受けてたみたいで、外に出て何か観ようという気分になれなかった。ショックというのではないのだが・・・といって自粛でもなく・・・なんだろう、忌中とか喪中にちかい気分かな。エンターティメントに触れる気分になれなかったのだ。

春風亭昇太 春の噺>
これは震災前に観た最後のエンターティメント。思えば平和な時期だった・・・。世田谷の、バブル期建築臭ありありのパブリックシアター、妙に天井が高くて神殿みたいな劇場で、落語。たまたままわってきたチケットで観たので、思いいれは特になかったが、この日初めて観る談春さんに興味があった。永遠のガキんちょみたいな昇太さんに、オトナ〜な談春さん。あんな「替わり目」聴かされて、「早く結婚したら」みたいな説教されたら、たまらんよね。子どもの頃はわからなかったけど、夫婦の小競り合いって、一種のコミュニケーションだったするのだな。プレイみたいなもの。そういう夫婦という関係のフクザツな味わいが感じた「替わり目」であった。
それに昇太さんの「花見の仇討ち」のマンガっぽさと軽さが対比されて、おもしろかったなあ。


<睡蓮>
震災後最初に見たエンターティメント。知人の知人のジャズダンスの先生が企画した講演とのこと。タイトルが堅い感じだったので、難解なモダンダンスをイメージしていったらさにあらず。テーマパークのダンスショーみたいなエンターティメントだった。わかりやすくて楽しく、なんたってヒロインが可憐でキレイ。妖精みたい。出てきたときからなんか違うオーラが出てて、どうしても彼女を目で追ってしまう存在感。パンフを見てみたら、韓国のプリマドンナだって。なるほど、格が違う感じがしたわよ。細くてしなやかで、抱きしめたら折れそうな・・・という表現がぴったりなのに、フルステージ踊り通すスタミナに、なんかエロスを感じてしまった。エロって生命力だよね。会場は六本木。同行者と帰りにお蕎麦屋さんで飲むが、店員がどう見てもインド人。メニューにタンドリーチキンもあり。ひとしきり呑んで、薄暗い道を乃木坂まで、ブラタモリの話をしながら歩いた。こんなに暗い六本木は初めてだな、と思いながら。


<山田晃士トリオ>
震災後、二番目に見たエンターティメント。この日もなんとなく、外出する気分になれずウダウダしていたのだけれど、こんな気分の日でも、晃士さんの歌くらい湿気があるモノなら聴けそうな気がして関内へ。節電のせいなのか、元からなのか、街が暗くてビビる。身の危険を感じる暗さ。STOMYMONDAYは初めてのライブハウス。狭いわけではないのだけど、なんだか狭く感じる不思議なフロア。よくみると決して狭くないのだが。
山田晃士さん自体が素材として完成していて強烈な個性の人なので、あとは組み合わせ次第というところがあり、ワンマンと流浪の朝謡がある以上、トリオの意義ってどこにあるんだろ?と思わないでもなかったのだが、今回見てみて「あ、見えてきたかも。」という印象。ワンマンのときはおもいっきり濃厚な世界観、流浪の朝謡はアグレッシブなクセモノ同士のバトル、トリオでは3人の「響き合い」の妙味。
なぜだか言葉が噛み合わない3人が、演奏ではミュージシャン同士の野生のカンで探りあい、響きあっていく様がすごくおもしろかった。打ち合わせはしているんでしょうが、なんか演奏がその場でできあがっていくみたいなスリルと一期一会感。なんで会話が成り立たないのに演奏が成り立つのか、音楽って不思議。
晃士さんの声を含めた3人の音色と存在感の「響き」や「重なり感」が良いので、歌が前に前に出る曲よりは、ちょっと抑え気味の曲のほうがこのユニットの持ち味が生きるように思った。「求人広告とエスプレッソ」、よかったなあー。うーむ。この編成で「フラミンゴブルーバード」やってほしいなあー。
正直、出かけてくるまで気持ちが重かったライブだったけど、行ってよかった。この日、私の「喪」が明けた。
あれから日本の空気はずいぶん変わってしまったけれど、相変わらず堂々と朗々と絶望を歌い上げる山田晃士ワールドになんだか安心し、震災度ほぼゼロのMCにも救われた。(お店のチャリティの告知は仕方なかったと思うけれど、あれはあれで、3人3様のキャラが出てて可笑しかった。)できれば、ライブのときくらい、忘れたいからね、地震のことは。世の中の「絶望厳禁」な空気感がちょっと重くて、希望を持つことを強制されるのもきつくて・・・という私のような人間には、彼の発散するキモの座った後ろ向きパワーや、歌詞の内容の「極私的」さもありがたい。

ところでこの店は楽屋が無くて、店の後ろの隅の方が出演者の控え場所。会話なんかも丸聞こえなのだが、晃士さんがかなりジェントルなのが意外だったッス。やっぱりステージはステージなんだな。