あらためて「山田晃士×知久寿焼」

コーシさんと知久さんのライブのレポを書こうと思ったら、「群集」の動画で妙なのを見つけてしまい、すっかり脱線。ネットって危険ねぇ。
というわけであらためて。
「ひ」さんからのメールで知るまで、すっかり見落としていたこの奇妙なブッキングのライブ。慌てて予約。知久さんとのコラボはコーシさんからの希望なのだそうである。なんかぜんぜん味わいが違うので意外。知久さんはアラフォー世代には元「たま」のボーカルということで有名。私もそれ以上の予備知識は無いまま出かけた。
ShowBoatは予約3000円だが、ドリンク代が630円。受付で3630円払おうとしたら札が3000円分しかなく、10000円出したら「おつりがちょっと・・・。」と言われ、必死で小銭入れをあさっていた私の傍ら、なんかものすごく雰囲気のある女性が通り過ぎた・と思ったら、なんと柴草玲さんだった。おお、メルシー従姉!
会場に入ると9割がた席が埋まっていた。開演前のBGMはなぜかQueenにYes・・・。
そうしているうちにお馴染みの越路吹雪のイントロが流れ、トップバッター、山田晃士。グレイのスーツでかっちりした印象。シルクハットがなければ普通にフォーマルな場に出て行けそうな。しかし一曲目「特別な招待状」からパワー全開で客席に迫る。他の曲に関しても全体に、いつものステージよりデフォルメ強めだったような印象があるが、知久さんのステージとの対比を考えてのことかな?
挙手させて確認し、知久さんファンと自分のファンとだいたい半々くらいとわかった後の、「水と油、振ればいずれは交じり合う。それがドレッシングというものです。」という含蓄があるようなないようなMCがものすごくツボってしまい、私しばらく立ち直れず。このフレーズ、どこかで使わせていただくわ。この日、はじめてキーボード弾き語りを目撃。一人芝居?入りで「ともだちのうた」。「LALALALA・・・Come On!」で客席にレスポンスを強要するのだが、声色が絶叫だったりささやくようだったりミュージカルみたいだったりいろいろで、スゲー面白い。その後「フラミンゴブルーバード」をキーボードで情感とケレンたっぷりに弾き語り。「鏡の中の悪魔みたいなあいつの歌と国鉄職員の歌とどっちがいい?」と客席に問い、拍手多数だった「国鉄職員の歌」こと「リラの門の切符切り」。「テアトル蟻地獄」前後のコール&レスポンスもノリよく、今回はお客さんがかなりステキだったなあ。
後半、「あんな歌う化け物みたいな人の後で何なんですが・・・。」と言いながら知久さん登場。世界観は「たま」のときのそのまま。声が独特。あ、ほんとに「たま」の人なんだ!という声。しかしあの発声で一時間強、ノドが枯れないのはある意味、山田晃士さんよりすごい。コーシさんは正しい声の出し方をしているので、長時間維持できても当たり前なのだが、知久さんって腹式呼吸で歌ってる感じが無く、ノドで歌ってるっぽくて声帯に負担がありそうな出し方に思えたんだけどねえ。歌詞の中には「透明になる」「肉体が消える」「影をなくす」というキーワードが散りばめられていて、「死」を連想させるものがあったが、暗い感じではなかった。自分が死んじゃって魂だけになって、友達や家族が普通に生活しているところをながめてい微笑んでいるみたいな・・・僕はそこにいないけど、みんな幸せそうでよかったね、みたいな。あるいは、体が弱くて遊びの仲間に入れず、みんなが駆け回るのを窓から眺めているような気持ちというか、暗い場所から明るい場所を見ているような、さびしさとなつかしさ、慕わしさ、そんなものを感じながら聴いていた。
諸事情により2人のコラボは実現しなかったが、実現したらどんなものになっていただろうか。想像つかないなあ。

さて余談。
このライブの数日後、山田晃士さんのブログを見たら「NHKのど自慢に歌の本質があふれている」という話題が書いてあった。これは私も似たような考えなので、とっても嬉しく読んだ。「歌」の語源は「訴える」という言葉であることを考えると、歌は誰か特定の相手に向けて歌われるのが本当の姿だ。「歌」は言うなれば、心を入れて相手に届ける箱のようなものである。のど自慢に出る人はほとんど、この箱の中にきちんと自分の心が入っていて、届けたい相手がいる。誰かの結婚のお祝いであったり、いつもは言えない配偶者への感謝のメッセージだったり、誰かへの励ましだったり、自分自身へ向けての言葉だったりする。
それじゃあ、生業として歌を歌う「歌手」とは、何なのか?歌手が歌うということは?
プロの歌い手が歌を歌うというのは、「こういう風に心を詰め込むと、よりよく伝わりますよ。」と、歌という箱にに心をどのように詰めこんだらよいか、ひとつの雛形を見せるということなのか?
でも、それだけだとすると「歌手」って、歌の本質から一番遠いところにいることになってしまう。
人前で歌うということ、歌い続けるということは何なのか???プロの歌い手の「歌の箱」の中身は何なのか???
山田さんが同じようなことを考えたとは思わないけど、何にせよ「のど自慢」に歌の本質を見て取れるような人ならば、これから彼の歌を聴き続けていくことはなかなか味わい深いものになるでありましょう。年齢を重ねるごとに、「歌」というものに対してどんどん純化していくような予感がする。それがどんな表現として表出されてくるのか、楽しみ。

ちなみにこの日ののど自慢は布施明がゲスト。(コーシさんはこの方のファンだそうな。なんかちょっと、わかる。)
さらにちなみに、もう一人のゲストは由紀さおり。私、洗濯物とかご飯の支度とか同時進行しながらのど自慢をつけっぱなしにしていて、歌も聞き流している状態だったのだが、その曲の中に出てきた「あの頃の私に恋してくれてありがとう」というフレーズが不意打ちのように心に入ってきて、ハッと手が止まり、涙ぐみそうになった。
うーにゅ、ぜんぜん他のことをしていた私の心に、一瞬にしてすぱーん!と入り込んでしまったわけで、これが「歌の力」ってものなのか。だって、「聴くぞ!」って構えて聴いていたわけじゃないのに、だよ。
その力をどこまで引き出せるかというのは、歌い手の腕しだい(ノドしだい?)なのだろう。とりあえず由紀さおりは素晴らしいってことがわかった。
あ、あとちょっと前になるけど、やはりNHKの歌謡特番でつんくが「遠くで汽笛を聴きながら」を歌ったんだが、あれ、よかったなあ。彼の持つどこか安っぽい寂しさがすごく合っていた。堀内孝雄とのデュエットだったのだが、同じ曲なのにつんくが歌ったら見えてきたのはまったく違う風景だった。
「歌手」が歌う、という意味はここにあるのか。