上野茂都 月例ひとり会

そもそも、この人の会に行きたいと思ったのは、彼がゲルニカ上野耕路氏の弟であるということを知ったことによる。ゲルニカは80年代初期にちょっとした人気を博したニューウェイブバンド。ボーカル&パフォーマンスは戸川純、作曲とアレンジ、演奏は上野耕路、イラストやアートワークは太田蛍一・・・というユニット。
余談だが、戸川純は私の高校時代はそれはそれは人気のあったものだった。
ま、ヒトクセある女子にのみ、だけど。まともな女の子はオフコースとか聴いてるか、おニャン子クラブの真似っこ族だったさ。
映像はゲルニカが出演したスイートキッスという清涼飲料のCM。
左のスーツ姿の男性が上野耕路さん。んむむ、目と眉の感じが似てる。

場所は高円寺。以前妹が住んでいたのでしょっちゅう足を運んでいたが、このところごぶさた。駅がずいぶん改修されてきれいになり、切符売り場の場所が反対側になっていたのでビックリ。って、今さら?
南口を出て右手、線路沿いにどんどん行くと、ほとんど座席が外にある焼き鳥屋さんとか、ワイルドかつ小規模な飲食店がぽつりぽつりと現れる。奔放なアジアといった空気を感じる町の面(おも)。下北沢に浅草を足して、渋谷風の汚しを加えたような街だなーとか、思いつつ歩くとほどなく右手に「円盤」の看板。小さな中古レコードショップが今宵のステージ。
90年代的漁盤マニアな匂いのする、それはそれは狭い店内。「ジョンレノン」と「水中、それは苦しい」が共存している。席は15席ほどが用意してあった。椅子の形もばらばらで、店内のありったけの椅子をかき集めたという風情。何よりワンドリンクつきで1000円。やっすーい!!!チューハイを頼みジョッキで供されたはいいが、席についてしまうと置く場所が無いのであった。開演時間までに飲み干し、ジョッキを返却することにする。

開演時間になると、どこからともなくテラコッタ色のシャツにチノパンの背の高い男性が現れた。それが上野茂都さんだった。あまりにも普通、普通ないでたち。しかし浮世離れした澄んだ瞳が、アーチストな空気を醸し出している。あんなに目のきれいな男性って、今まで会ったことないかも。
ボソボソとぼやきともつぶやきともつかないトークかましながら。その人はシャツのチノパンのまま、傍らにおいてあった三味線で唄いだした。勘所に丸いシールが貼ってあるのが可愛らしい。
「キャベツの芯は捨てないでぇー♪」
ヒカシュー巻上公一の声からクセを抜いたような声と、脱力系な三味線の音色。
三味線の音って日本人にとってはある種背筋が伸びる感覚というか、緊張感を強いるものでもあるのだけど、上野さんの三味線の音は丸っこくどこか大陸的でおおらか。日本の楽器というよりは、どこか知らないアジアの国の楽器の音。アジアの音。
「きちんと習っている人には怒られそうですが・・・」とか言ってはいるようだが、一応基本はきちんと身についてる様子。まったくでたらめではない。その上での「上野な音」
私の脳裏に浮かんだのは、大正から昭和初期のぼろぼろの下宿屋。傍らに火鉢と丸まった猫。そこでドテラを着込み襟巻きをまいて、三味線をつまびく書生さんといった姿であった。それで身を立てようとかいう野望はない。ただ好きだから弾いている。ただそれだけ。

脱力系でほんわか心地よい不思議なオリジナルソングをいろいろ披露しながら、トークを交えて。髪の毛も黒々として眉の辺りでパッツリとオン眉だし、万年青年という感じでぜんぜん年寄りっぽくないのに、喋り方はかなりおじいちゃんな落語家みたいだった。「あー」とか「えー」とか「うー」とか言いながら、トツトツと話すさまは枯淡なり。色も欲も無さげ。しかし不思議と惹きつけられる客席。

曲と曲の合間に語りものをいくつか。七夕の由来、静御前の話、そして最後、アンコールともつかないアンコールの内田百輭の短編。これがよかったですねえ。講談のような朗読のような独特の雰囲気。目の前に光景がふわーっと浮かび上がるようで、淡々としていながら迫力。静かなのにじわじわっとイメージが伝播してくる様は圧巻。

ふわふわ漂ううちにいつのまにか世俗の汚れを洗い流されたような、浮世離れした不思議なライブだった。