1930年代生まれとテレビ演芸

年末年始は帰省することになっている。暗黙の了解である。正直言えば都内にいて、「初席」とやらに行ってみたい。しかし、それではやはり親がさびしがるので、帰ることにしてます。親を連れてきてこっちで正月・・・てのも考えるが、田舎なので元日から地域の行事やしきたり諸々があるし、やっぱり地元を離れてのお正月は抵抗があるみたいなので無理。
そういうわけで年末年始はもっぱらテレビで演芸番組を楽しむということになる。これはこれで、意外な若手が面白いということを発見できて楽しい。(人気の「欧米か?!」のタカアンドトシなんか、ボケから想定して突っ込みに参加できる感じが好き。)

今回のお正月で拾い物だった番組がNHK-BS2でやっていた「昭和なつかし亭」という番組。昭和の名人といわれる芸人の映像を紹介するものなのだが、画期的なのはきちんと最初からオチまで放送してくれたこと。この手の番組はたいていビデオの一部だけを紹介して、あとはゆかりのある人物をゲストで呼んで裏話やエピソードを話させるスタイルなのだが、これは違った。寄席のような形の会場をちゃんと作って一般のお客さんを入れ、前の高座のスクリーンに映像を映して見せるという公開番組の形式であった。今の時代に生きている人たちに、思い出ではなく出し物として昔の芸人の芸をぶつけるって感じがよかった。必要以上の芸人エピソードも無いのもいい。うちの家族に限ってかもしれないが、芸人本人がどういう人かということは別にどーだっていい。面白いものを見せてくれればいいのだというスタンスなので・・・。「私生活ではいろいろあったみたいだけど、芸人として面白ければ別にいい。直接の被害があるわけではないし、私生活も極端な方が見てるほうとしては面白い。」とは横山やすしの映像を見ているときの母の弁。娘のワタクシ、まったく同感でございます。
この番組で初めて志ん生の動いている映像を見た。私が思っていたより動作の少ない人だったが、もし寄席で見かけたらきっと「なんか奇ッ怪だけどおもしろいオッサンだな。」って思い、この人観たさに寄席に足を運ぶことになっただろうなぁ、と思った。

さて今回1930年代生まれの両親とともにテレビ演芸を満喫した正月であったのだが、この年代の人が真剣に聞くか聞かないかは芸人の何に左右されるかということも観察してみた。
まず正装してないととたんに興味を失う傾向がある。ジーンズやポロシャツ、Tシャツなどのラフな格好で出てくると、最初から「理解不能」バリアを貼ってしまうのだ。スーツなら、とりあえず聞こうという姿勢になる。着物ならよりその姿勢は強くなる・・・ので、着物>スーツ>普段着の順でこの年代には強いのかもしれない。だからいまどきのテレビの人気若手は軒並みダメだった。最初から聞いてもらえないのである。やっぱり見た目が大事。これは女性でも同じで、衣装に力が入っていない人には興味を示さない。
それとやはりテンポ。若手からベテランまでいろんな芸人さんを見るに、やっているネタを文章に起こして読めば、面白さには大差は無いと思う。逆に若い人の方が気の利いたことを考えていたり、工夫があったりするケースもある。でも声に出して演じたとき、早すぎて聞き取れない、活舌や発音の問題で聞き取れない、話が脱線しすぎる、ということがあると、1930年代生まれの人々の聞く気は急速に失われるのでした。しかしネタの途中で「要するにいままでの話は・・・。」などとまとめたり軌道修正してくれれば、また聞く姿勢に戻る。まあウチの両親に限っての例かもしれないが、置いてきぼりにされると投げちゃうんですね。

そんなことを観察しながらのんびりとすぎたお正月でした。

<追記>

あと、観てて気になったのだが、若手お笑いの人のネタってほとんどが以下の前提に立っているように感じた。

1)観客全員が同じように学校教育を受けている。
2)観客全員が同じようにテレビを見ている。
3)観客全員が同じようにコンビニで買い物をしている。

これらの共通体験を突く、「あるある」の笑いが目立つ。が、これにはかなり世代差も地域差もあるし、個人差だってある。けっこうターゲット狭い。こういうのが絶対ダメだとは思わないが、オールマイティではないってことはアタマに入れといてもらいたいもんだ。同年代の友達どうしなら安易に盛り上がる燃料だけど、よっぽど上手にやらないと素人くさく見えるぞ。