三鷹 de きいたか Vol12

文鳥舎ライブに初めて行ったときに感じたのは、なんかフォークっぽい印象だった。
そこに三味線というミスマッチに惹かれて通い始めてはや・・・えーと何回でしょ。試行錯誤の時期も何度か見てきましたが、この会はやっぱりコレでしょ!という、いい意味でのフォークっぽさが満載だったのが今回。ゲストはオオタスセリさん。

前座は小寿々さん。急に呼ばれて弾かされたということだったが、さらりと明るくに都々逸、さのさなど。黙っていればしっとりした美女で、師匠と対で弾いているときの集中した顔なんかとってもクールでカッコイイのに、ピンのときはカラッとした気さくなおネエちゃんなのが魅力。

その後、紫文さんの都々逸づくし、のはずが喋りが多すぎて予定の半分も消化できず、とのこと。そういうテキトー感もまた楽しく。オオタスセリさんと交代というところで二人の話が弾んでしまい、20分くらいトーク状態。それが面白い。ちゃんと面白い方向に転がるように話を膨らますことができる二人なのである。客に観せることを意識した上でふざけている。暗黙の了解のうちに、そうすることができるのはやはり芸人どうしだから・・・というところを超えて、かなり波長が合うのだなあ。気の合うジャズミュージシャンどうしの即興セッションのようなものかも。なんだかんだとけなしあっているようなトークだったけど、お互いがお互いにすごく敬意を払っているのは感じた。リスペクトってヤツだな。

オオタスセリさんは「私の友達」「私の彼氏」「ストーカーとよばないで」「ニートの唄」「キッチンドリンク」「酔っ払い女の歌」と、私としては勝手知ったるフォーマットだったのだが、「キッチンドリンク」がものすごく進化しているのにびっくり。酔っ払い方が深くなっている!なにか、「この女の人、何があったのかしら?」と思わず想像を膨らませてしまうような、あたかも短いお芝居のような、そんな感じ。私、ふと思ったのだけど、スセリさんの唄とお芝居で構成した舞台を観てみたい。中島みゆきの「夜会」みたいな感じの・・・。いやスセリさんだから唄とコントか。

スセリさんの後、紫文さんと小寿々さんの新内流しから徐々におなじみの「長谷川平蔵」へ。ときおり「間違えちゃった」とか「やるつもりだったけど時間が足りない」などといいながら、とってもゆるい雰囲気のまま「のんき節」まで。客席と会話しながら、本人もお客も楽しくその場に遊ぶ。いい空気ができあがった。いやー、この会場はこういう感じがベストでしょう。やっとたどり着いたって言うか、一回りして戻ってきたというか、奇しくも私が初めて文鳥舎ライブに来て感じたのと非常に近いアットホームなあったかさが感じられたライブだった。
アットホームな感じというのは内輪っぽさにつながり、内輪っぽい感じというのは芸人本人も居心地が良い場合がある。あんまりマイナーなうちにアットホームで固めてしまうと、芸人自身がそのぬるま湯から出て行けなくなり、戦わなくなってしまう。そうすると広がりもないし、小さくまとまってしまうだろう。言うなれば同人誌の人気作家みたいな感じ。去年あたりまでは紫文さんもあやういバランスの位置にいたような気がするが、もう今年はオッケーじゃないかな。活躍の幅が飛躍的に広がったし、お弟子さんも伸び盛り。一ヶ所くらいこういうファンクラブ集会みたいなライブがあっても、もう大丈夫だと思います。もうそんなことで勘違いする次元にはいないでしょう。

ほんわかと終わった本ライブの後は打ち上げ。今回、面白かったのは紫文さんのギターが聴けたことにつきます。古くからのファンの人は知っていたらしくさほど驚かなかったようだったが、あんなに巧いとは私は知らなかったのでびっくり。
最初は「三味線の曲をギターで弾くとこうなる」という説明を口頭でしていたのだけど、熱がこもるあまり文鳥舎の置きギターを手に取り実演。そのうちなぜかS&Gや吉田拓郎などを弾きまくる流れに。本人も楽しそうだったけど、何より楽しそうだったのが周りの同世代のお客さん。ほんとに幸せそうに一緒に口ずさんだり、ギターを弾く紫文さんをうっとり眺めたり。楽器を奏でる人を中心に人の輪ができている、私の好きな風景がそこにありました。人って、若い頃に同じ音楽を聴いて育った人だと思うと、他愛無く好きになっちゃうもの。こういう意外な側面というのを見せる機会ってのも案外大事だ。こんなお遊びからどんな仕事につながっていくかもわからないし。
案外本人が冗談で言っている「シモン&ガーファンクル」も実現したりしてね、シャレで。(アート・ガーファンクル役、誰がいいかしらね?)