第1回馬車道おきらくシアター

ある日、いつものようにオオタスセリさんのBlogで今後のライブ情報などをチェックしていたら、気になる名前を発見した。山田晃士。あと他の出演者は寒空はだかさんと腹話術のマルセまゆみさん。山田さんだけどう見ても異物である。すごいブッキングだなあ。だって芸人じゃないぞ、この人。
山田さんはアコーディオニストの佐藤芳明さんと組んで、ガレージシャンソンショー(略してガレシャン)という面妖なユニットをやっていた人だ。

狂歌全集 ガレージシャンソンショー

狂歌全集 ガレージシャンソンショー

細身の理系ハンサムな佐藤さんと、ハンサムかどうかわからないが毒々しいビジュアル系って感じの山田さんのパフォーマンスは、ベアー系のルックスの多い蛇腹ミュージシャンの中でも異彩を放っていた。山田さんの「おいおい何もそこまで・・・」といいたくなるようなエモーショナルでケレン味たっぷりのボーカル。笑っちゃう歌じゃないのに、パフォーマンスがすごすぎて笑っちゃう。気になって、一度ライブを見てみたいものだ、と思っていたんだっけ。名前を見かけたのを機にふと思い出しちょっと検索をしてみたら・・・がーん・・・ガレシャンは今年で活動休止ですって。何でも、この形態でできる表現をやりつくしてしまった感があるから、とか。えーっ、まだナマで観てないのに、私・・・。
で、この山田さんという人、「声が大きい背も大きい」おまけに今回「弾き語り」。そう、性別は違うが、オオタスセリさんとキャラかぶりなのである。私は今回スセリさんがどうやって自分のキャラを立てるんだろう、という興味を強く感じた。そういうわけで、普段は関内なんて遠いところでライブがあったって絶対行かないのだが、最初で最後かもしれないこの奇妙なブッキング、逃したら一生の不覚。業後の疲れた体を引きずって、行ってきました関内ホール(小)。

300人は入るかな・・・というホールにお客さんがパラパラ・・・で、入りはちょっとさびしい感じ。こういうときってホールがとっても広く感じる。
客席が暗転してロック調の曲がかかり、演劇的な感じの大げさなアナウンスが入って始まる趣向。なるほど、あくまで寄席とか演芸会ではなくて「シアター」なんですね。
幕が開いたらそこに、黒づくめでシルクハットをかぶり長いマラボー(羽毛のマフラーみたいなやつね。)を巻いた性別不明の人が、ギターを抱えて無言で立っていた。一瞬、「今日のスセリさん、派手だなあ。」と思った私だったが、いきなり即興で「おきらくシアター」の歌を歌いだしたときにそれが山田晃士さんなのだということを知る。(だってほとんど同寸なんだもの・・・。)んー、骨太のローリー寺西といった風情でしょうか。その後二人で司会ということで私服のスセリさんが同じステージに出てきたが、ハイヒールを履いた彼女より背が高い。スセリさんが華奢に見えた。うう、新鮮。

一番手は寒空はだかさん。今回は客席の温め役に徹してくれた感じ。東京タワーの歌もマリンタワーランドマークタワーに替えてサービス。「売春婦というのは今では差別用語だそうですね・・・・売春士と言わなければなりません。」というのが可笑しかった。

マルセまゆみさんは初めて観るが、マルセ太郎さんのお弟子さんだそうな。スタンダードな腹話術だが、人形によってぜんぶ声色や話し方を変えているのがすごい。ただ、いかんせんこういう芸には、ホールが広すぎる。もーちょっと近くで見たい。どっちかというと細かい芸だもの。

さあ、3番手が山田晃士さんである。二本のギターを使い分けてのシャンソン弾き語り。シャンソンといっても彼のいうところのガレージシャンソン・・本人の弁によれば「シャンソンの持っているブルジョアジー的要素を排除しその毒性・変態性の部分を強く押しだした。」という毒々しくも華やかな世界。とにかく、声がすごい。変幻自在。ささやくような小さな声から朗々としたオペラ歌手のような声まで。自分の体を楽器としてとらえて研究しつくしていないとこうはいかない。どのくらい口をあければどんな声がでるか、どのくらい体を曲げれば、どのくらいの息ならば、オンマイク、オフマイク、拡声器を通せば、拡声器を通してさらにマイクを通せばどんな声になるのか、ぜんぶわかっていないとできない。本人が「唄うたい」と自称するだけのことはある。途中でミネラルウォーターでうがいをする一幕があったが、あれもその後に声帯を湿らせた声を出すためだったようだ。
それからステージングもハッするようなものが多かった。ステージライトを落として真っ暗にしてマイクスタンドにランタンを下げ、自分の影を背景に大きく映す。小さい拡声器を使って唄う。おもちゃのドラムセットのバスドラムを効果的に使う、など。芸人ではないとはいうものの、小道具の使い方などはフランスの大道芸を思い起こさせる。フランスでシャンソンの勉強をしていた時期があったとか。そこで吸収してきたものは決して少なくはなかったのだろう、と思わせるだけのものはあった。しかしMCは独特で笑える。ほとんど脅迫みたいな客いじり。だから「芸人」としてこんなところに呼ばれちゃうんだろうなあ。「今度、君達にスタッカートを教えてあげよう。」「次回までに(ファルセットを)おぼえてくるように。」などなど。客に強制的に歌わせてダメ出しをするという・・・その間といい、リズムといい、生半可な芸人よりも達者だ。
それにしてもお客が少なくて、さらに自分の客ではないかもしれないところで、まったく手抜き無しで演ってくれた心意気にも脱帽だし、迷いも衒いも照れも無く自信に満ち溢れたステージは観ていて気持ちがいいくらいだったよ。拍手。また観たい。

演劇かオペラの一幕のようなスケールの大きい山田さんのステージが終わった後がオオタスセリさんなのである。さて、どうするだろうか、と思っていると、真っ暗だった舞台がパッと明るくなって、しらじらとした明かりの中にOLの制服姿のスセリさんとパイプ椅子だけ。この落差。「さあさあ、もう悪夢はおしまい。ここからが現実ですよ。目を覚ましてね」って言われたみたい。等身大のふつうの女の人がそこにいた。うーん、なるほどー、こうきたかぁ・・・。しびれました。
客席にふつうに話しかけながら短いコント、少し長いコントという感じで徐々に静から動へ。最終的に弾き語り「ストーカーとよばないで」から「酔っ払い女」へ、クレッシェンドしていく展開が見事でした。山田さんの毒気がすっかり抜けて、「酔っ払い女」の頃はすでにすっかりホールは彼女の色に。山田さんの後にすぐギターで出たらこうはいかなかったろう。一回断ち切って、徐々に自分の世界に引き込んで言ったのが巧い。ふつうの女からどんどん壊れていったことで、結果的には一番印象に残った人となった。おまけに山田晃士さんの後でだったため、最初はスセリさんが非常に華奢で小さい人に見えたというのも効果的だった。もしかして、そこまで読んでたのかな?さすがぁー。(と思ったけど、出演時間超過はアンフェアなのでちょっと減点〜。だれだって好きなだけやりたいんだから・・・。)
にしても、やっぱり感動してしまった。よく戦ってくれました。実はさほど買う気が無かった彼女のエッセイ本だったが、感動のあまり、思わず帰りに買ってしまった。あれは私からの敢闘賞です。

ところで今回、司会の二人の噛み合わないこと。お笑い芸人同士であればある程度、予定調和的なコミュニケーションでいけるのだろうが、ミュージシャンはへそまがり。とくにああしたタイプのボーカリストは自分なりのギャグセンスとして確固たるものを持っているので、そこに合わないものは受け入れてくれないのよねえ。スセリさんもやりにくそうだった。けど、芸人さん同士の世界ってちょっと「互助会」的に見えるところがあるんで、たまにこういう異分子を相手にやりにくい思いをするのも、刺激になってよいのではないかしらね。ふふ。観る方も演る方も。「違和感」といふものは芸人の輪郭をよりはっきりさせる役割がある、よーな気がする。