御喜美恵 アコーディオンワークス2006

昨年からアコーディオンを習い始めた。
なんで習うかというと、好きだからに他ならない。
んで、好きな楽器なんだから、巧くならないと自分が許せない。
というわけで、ヒマさえあれば蛇腹と格闘する日々が続いているのだが、練習はもちろんのこと、人の演奏を聴くことも大切な修行であるわけで、サークルの仲間の方が行くということもあり、御喜美恵さんのコンサートに行ってきた。


御喜美恵(みき・みえ)さん。
私がアコーディオンという楽器に興味を持った93年前後、すでに第一人者としてかならず名前があがっていた女性だ。
(まあ、だいたい演奏家自体が少ないので、決まった人の名前しか挙がらないのだが・・・。)
4歳からアコーディオンに触れ、単身ドイツに学んだ人。
彼女がこの楽器を志した頃は、今以上に情報も無かっただろうし、演奏家もいなかっただろうに・・・。
いくつくらいなのか写真からは見当がつかなかったのだけど、今回ステージで観てみたところ、40代後半〜50代かな、といったところ。
タヌキ顔の童顔なので、上半身だけの写真では年齢不詳な印象だったんだよね。


会場は浜離宮朝日ホール
内装はほとんど木で、まさにクラシックのホールといった風情。
大きなオーケストラでなく、小規模な上品な構成の楽団が似合いそうな。
あるいは、バイオリンとかピアノなど、単独の楽器を生かしたリサイタルなどが似合いそうな、そんな雰囲気のホールである。
ステージにはピアノが一台と、椅子が1客。
そこに登場した美恵さんは、サテンのシンプルなドレスで、大きなアコーディオンを抱えている。
ドレスかと思ったが、椅子に座ってガバッと足を開いたところで、フレアパンツなのだということを知った。
アコーディオンは意外と、足を開かないと演奏できない楽器なのです。
楽器はやけに大きいなと思っていたのだが、あとで調べてみたら特注のGORAのフリーベースだそうな。
15キロくらい・・・いや、もっとあるはず。20キロくらいあるかもしれない。
(後で調べたらGORA185ベース 14.5Kgとのこと。)

今回は音楽史でいう「ロマン派」の曲を中心に、ということで、クラシックに疎い私にはまったくわからず。
でもその、なんていうか、目を閉じるとまさか一人で演奏しているとは思えない音の厚み・・・それもさりげない厚みに圧倒された。
これみよがしに重厚なのではなく、当たり前のように、なのだ。
たった一人しかいないというのに、演奏の密度は弦楽四重奏なみ。
3,4人で演奏しているとしか思えない。
それを軽やかにこともなげに弾きこなす。
な、なんて人なんだ!美恵さん!!!


しかし前の方の席で聴いていた人に後で聞いたら、「震えてたよ」とのこと。
初めての会場で、初めての企画。
それも、それが自分の大切に思うものであったなら、そりゃあ震えない方がウソでしょう。
彼女がどれだけアコーディオンという楽器を愛し、それを演奏できる時間を大切に思っているか、よくわかる気がした。


第3部はドイツのピアニストの人とのアンサンブル。
そこで「ロマン派」とはなんぞやというインタビューあり。
ドイツの詩人ハイネの初恋の人の思い出、それこそがロマン派の思想であろうとのお話。
ハイネはいとこの少女に恋をし、思い悩む思春期を過ごすが、彼女は他の人と結婚してしまう。
落胆するものの月日は流れ、ある日彼はその初恋の人に再会するが、彼女は見る影もなく太ってしまっていた・・・。
そこで彼の恋は現実としては終わったわけなのだが、ハイネは昔彼女に恋していたときの切ない感情を記憶にとどめ、それを創作活動の糧にしたのだという。失われた美しいものへの郷愁、それこそが「ロマン派」の表現を象徴するものなのだ!という話。
あはは、そんなもんかね。
だとすると、ロマン派は男性的な音楽かも。


プログラムに書かれていた話によれば、アコーディオンという楽器はもともとピアノなどの調律用に使われていた道具であったという。
それが楽器として成立し、アコーディオンという名前を得たのが1890年代。
その後アコーディオンは各地に渡り、あたかもその土地土着の楽器であるかのように根付き愛され、様々な名前を得た。
バンドネオン、バヤン、コンサーティナ、などなど。
国籍のない楽器になって普及しているところはピアノやギターと変わらないのに、オーケストラなどには入れてもらえず・・・しかし、庶民の楽器というにはいささか値段が高いという中途半端な位置にある。
このあいまいさ、どこの国の楽器とも言えないところが私は何とも、好きなんですねえ。
また、高級になるほど大きくなり重くなるので、構えたときに絵になりにくい。
誰がどう構えたところでカッコよくならなくて、いくぶんマヌケな感じになるのが楽しくってたまらない。
けど、演奏し始めると途端にカッコよくなる。
このギャップもたまらない。
カッコよすぎるものは嫌いだけど、カッコ悪いのも嫌い。
という私の好みのバランスを、いい塩梅で持っているのがこの楽器なのよねえ。


さて、これだけスゴイ人が、どのくらい基礎を踏まえた演奏をしているのだろうというところも興味があったのだけど、いやーしっかり、基本どおりの奏法してました。
蛇腹のINとOUTは必ず同じ拍数分ってことと、鍵盤がかならず顔の下にあること。
これだけはまったくはずしていない。
しかし、逆に言うとこれが押さえられれば後は自由ということか。
基本の大切さも実感した。
やっぱプロの、それも第一人者の演奏を見るってのは大事だあー。
それと、その楽器が好きで頑張っている人はどんな超絶テクの演奏をしていようと、とにかく笑顔。
ニコニコしながら楽しそうに、どえらいテクニックの演奏をこなしちゃってくれるのだ。
歌うことが嬉しくて仕方が無いヒバリのように・・・。
やっぱコレ、コレですよね。
好きってことはこういうこと。
演奏することが楽しいはずなのだ。