コタン2題

私は休養中のはずなのだが・・・。
常勤をやめたらやめたで単発の仕事がぽつぽつあって、バタバタ過ごしている日々の中、ライブは3本見ていた。
そのうち2本はおなじみコタンでのオオタスセリさんのワンマン。


3月27日のゲストは寒空はだかさんであった。

子どもって、ずーっと独り言を言っている時期がある。
頭に浮かんだことを全部ことばにしてしゃべらずにいられない時期。
親に聞くと私にもあったそうだ。
おそらくその時期に人としての言語能力を脳内に定着させているんでしょうけど、とにかく人が聞いていてもいなくても、思いつくままに話をしている。
内容は架空の物語で、はっきりいって即興。
つじつまなど合うはずも無く、シュールきわまりない。
さらに聞いてくれる人がいると悪乗りしたりして、もっとシュールになったりする。
あと、小学校から中学校の1年くらいまでの間に存在する、やけに華奢だけどやけに面白いことをいう男の子。
面白いことっていうのが、べつに理の通ったギャグではない。
急に突拍子も無いことを言い出したり、奇矯な声をあげたりするような、
なんか、彼がいうと面白いっていうか、クラスの中でも「彼の発言」という一つのジャンルができてたりする。
そんな「おもしろ少年」たちの姿が、ステージ上のはだかさんにダブってしかたがなかった3月27日のコタンでした。
性別未分化な個性。
はだかさんにはぜひ「詰め襟」着せたいなー、とか思った私。

4月4日のゲストは九十九一さん。
私はあまり知らない人だったが、スセリさんのワンマンだし、紫文さんも飛び入りで出るし、ということで見に行った。
かなーり昔にニュースキャスターに扮した一人コントをやっていたのを見た記憶がおぼろげにあるのみ。
生で見るのは当然はじめて。
普段着でふらっとステージに立ち淡々と喋りだした感じなのに、いたるところに地雷が隠されていて、それを踏んでしまうと脳が遠いところに吹き飛ばされてしまう・・・ような感触を受けながら観終わりました。
それも宇宙空間での爆発みたいな、音のない爆発で静かにスーッと飛ばされるの。
九十九さんは紫文さんが影響を受けた人、とのこと。
たしかにギャグの感触が似ている。
たぶん体内に同じ種類の笑いの種子を持っている。
しかし、紫文さんは「人間」って感じがするが、九十九さんは「別の生き物」な感じがしたなあ。
ほんとに触ったら皮膚が冷たいんじゃないだろか・・・。
(褒めてます。)


紫文さんの出番は短めなのでおなじみのものを、滞りなく。
しかし直前に出た九十九さんと「温度」がとても似ているので、立て続けに出て大丈夫なんだろうかと、要らぬ心配することしばし。
でもむしろ、育った土や肥料が違うと、同じ種でも違う色の花が咲くものなのね、という楽しみ方ができてよかった。
だから全体の構成の中で、九十九さんから紫文さんへの受け渡しの流れがとっても綺麗だったように感じたのだった。
あと客席見てて思ったのだが、三味線という楽器そのものに反応するのは男性が多い、ような。
場所がライブハウスだからなのか・・・。
急に目がキラキラして身を乗り出すのは男性が多かったのですよ、なんか。


スセリさんの唄も今回まででずいぶん何度も聴いた。
それで私の中で以下のように分かれてきた。
「演奏の下手さが味になっている歌」
「演奏の下手さが邪魔になっている歌」
前者はいいけれど、後者はいい歌詞なのでもっといい形で育てられないか、思ったりする。
演奏を気にしないで唄に専念したものを聴いてみたい、のです。
お笑いでなくてストレートなメッセージのある歌は特に。
あとスセリさん以外の人が唄う、っていう企画も見てみたい。
オオタスセリトリビュートライブ・・・(まだはやいか。)
もしくは声にキャラクターのある人なので、カバーだけで構成したライブも見てみたいなあ。
なんて、いろいろ妄想が膨らんでしまった。
もしや、スセリさんの魅力って、未完の魅力。
まだまだ「余地」がいっぱい残されているように思えて、なんか眠れる「演出意欲(?)」がかき立てられるモノがある。
まー、しかし私には何の力もないので、こんなところにブツブツ書くしかないんだけどさ。


今回は打ち上げの時間がわりと長めにとれるライブだったのだが、なぜかコタンに来る日って他の予定でも忙しい日に重なることが多い。
(よく考えたら週の初めが多いからです。)
ちょっと迷ったけど諦めて帰りました。えーん。
このマジメさを呪ってくれ!


俺様と私

俺様と私

ストーカーと呼ばないで

ストーカーと呼ばないで