親と落語

お正月は実家に帰る。
願わくば東京にいて初席とやらに行ってみたいが、いろいろと娘としては親不孝をしている身の上、正月くらいは団欒を味あわせてあげないとねー、もう年寄りだしねー。
というわけで、ほとんど修行のような気持ちで毎年正月は実家に帰っております。
とはいえ八墓村のような因習の田舎ゆえ、元旦は朝から父はいなかったり(神事がらみ)なんかして、なんだかなー・・・???って感じである。
子の心親知らず。

で、今年の元旦、やっと家族の顔ぶれがそろったのは夜であった。
(あ、弟は除く。北海道で馬の世話中。おまえいい加減にせえよー。)
父の提案でテレビを消し、ラジオをつけた。
しばらくして始まったのがNHKの「ラジオ名人寄席
この日は林家三平の「源平盛衰記」と先代の金馬の「居酒屋」を放送していた。
これがなかなか楽しかったのである。
そもそもうちの親世代は落語にラジオで触れていた世代。
耳で聞くのが一番自然らしい。

食卓にいかにも80年代っぽいダブルカセットのラジカセを据えて聴いたのだけど、これがどこか接触が悪くてときどき音が途切れる。
で、ばんばん叩くと直って音が出る。しばらくするとまた途切れる。叩く。直る。
この繰り返しでなんとか最後まで聴いたのが、逆にアミューズメントだったです。
ワインも回ってやたら楽しかったのでした。

このあとNHK教育で志ん生の映像と「黄金餅」をやるというので母を呼んだが、「顔を見てもピンとこない。」ということで、ずっと目を閉じて聞いていた。
顔は知らないのだということだ。
そーいえば、よく寄席にも目を閉じて聞いている年配のお客さんがいるなあ。
そういうことなのか。
ラジオ育ちの人には、音だけの方が自然なのだな。