近藤志げる 野口雨情を唄う In 文鳥舎

行きたかった落語会のチケットが取れずしょんぼりしていたところに、文鳥舎から「近藤志げるライブ」のDMが届いた。
私がジャバラ弾きと知っての所存か?
いや、おおかた偶然でしょうけど、もともと興味があったので、二つ返事ですっ飛んでいきました。
ただ、見る人を選ぶ芸だと思うので、今回は誰も誘わず一人。


戦前、アコーディオンが不良の楽器であった頃の匂いを近藤志げる氏は色濃く残している。
ちょっと水商売っぽくて、ちょっと胡散臭い感じ。
それから日陰っぽい感じ、夜っぽい感じ。
童謡、唱歌の美しさ、悲しさ、無邪気さとそんな雰囲気が溶け合って、なんともいえない独特さ。
楽器はアコーディオンだがかなり「浪花節」成分が強く、「お涙頂戴」的である。
キライな人はキライだろうなー。
「粋」さにこだわる向きには泥臭く思えるだろう。
でも私はキライじゃない。


先日の「柳家紫文ライブ」でも訪れた文鳥舎だが、観客数はうって変わってこじんまり。
50代以上の多趣味そうな女性が中心で、あとは30代男子がポツリポツリ。
開演15分前でも3,4人しか席にいなかったときにはどうしようかと思ったが、開始までには八割方埋まった感じ。
席についてステージを見ると、エクセルシアの120ベースが無造作に置いてあった。
私が今回観にきたのは、かなりお勉強気分による。
アコーディオンは好きだが習っていないので、ジャバラ扱いがいまいちよくわからないのだ。
ジャバラ弾きをテレビなどで見る機会も少ないし、見たとしてもcobaとか桑山哲也とかガレシャンとか、あの手の人たちのジャバラさばきはちょっと派手すぎる気がする。
なにかヒントになることがあるかもしれない、と。


ステージが始まったとき、意外に大柄な人で驚く。
そっか、エクセルシアとの比較で小さく見えてただけか。
なぜか「さらばハイセイコー」からはじまり、後は野口雨情の生き様を語りながら、彼の作品を歌っていく構成のステージ。
自分でも歌うが、どんどん客席に歌わせる。
誰もが知っている童謡だし、何しろ観客は多趣味系の中高年のご婦人たち(コーラスとかやってそう。)なので、みんな歌う歌う!
歌の合間にいろいろなエピソードを語ってくれるのであるが、これがいちいち泣ける。
いや、正確いうと私自身は泣けない。
古い時代の話であるし、それほど感情移入できるというわけではない。
でも周りで泣いているお客に、自分の親をダブらせてしまい、「もらい感動」しちゃうのである。


自分の親やその周囲の人の話を聞くに、私の親のその親の世代くらいまでは、子供を養子にやるとか、自分が養子にやられるとか、親が戦争で死ぬとか、その親の代わりに働くとか、母親がお妾さんに追い出されるとか、そうした不幸はほとんど標準装備であったようだ。
近所のオバサンやオジサンが、驚くほど数奇な人生を生きていたりする。
自分の父や母の人生もまた、一筋縄ではいかない。自分の家の3代前の話ですら、何回聞いても忘れてしまうくらい混み入っている。
その頃の日本は、どこでもそんな感じだったんだろう。
PTSDだのACだのという言葉も無い時代、自分が傷ついたことになぞ気付かぬふりをして、涙を封印して必死で生き抜いてきた世代。
そんな人たちの心の封印を解く力が、近藤志げる氏の芸にはあると思う。
さあ、泣いてもいいんですよ、って開放してあげている気がする。
最後の頃に客席からのリクエストで「戦友」という軍歌を歌ったとき、私の前の席のおばさまはほとんどしゃくりあげて泣いていた。
自分の親もその親も、同じくらいの年齢の皆も、こんな風に泣きたかったときがあったのだろうな。
あの人たちが涙を流して少しでも楽になるなら、お涙頂戴だっていいじゃない。
どうぞあの人たちを、ゆっくり泣かせてあげて下さい。


その後、「今は泣かせちゃったから、今度は笑わせるね。」と言って、小噺をはさみながらの「浅草の唄」。
このときのネタが老人ネタでけっこうブラック。
円歌師の「中沢家の人々」を聞いたときも思ったけど、やっぱある年齢にならないと許されないユーモアって、あるのよねえ。


打ち上げもあったが、今回は参加せずに帰宅した。
あそこに混じるには、私には共有できないものが多すぎる気がする。
まだまだ「人生」してないんだなあ、私は・・・。


ジャバラ的収穫は「ゆったり引く、ぐいぐい押さない」ってことかな。
音が小刻みでもジャバラはゆったり、なのねん。


ところで帰りながら自分の足元を見ると、偶然にも「赤い靴」を履いていたことに気付いた。