柳家紫文「三鷹deきいたか」

前々回観に行って面白かったのだが、前回仕事で行けなかったので、半年ぶりの文鳥舎。
前回の印象では席がやや余ってるくらいのお客の入りだったので、そんなつもりで出かけてみたら「ぎゃッ!」ってかんじである。
なにこの人数・・・!補助席まで出るほどの大盛況。
どうやら永六輔のラジオで紹介されたのがきっかけらしい。
私もラジオ聴いてて、「おお、これで全国区かぁ。」と喜んではいたものの、文鳥舎にこんなにお客さんが来るとは思わなかったので、軽くビックリ。
マスメディアってすごいわぁ。
とりあえず予約した席に落ち着くと、ああ・・・前の席の人の頭でぜんぜん見えない・・・。
前座の女性(小寿々さん)が演奏しているときから彼女の額しか見えず、紫文さんが始まっても同じだった。
前回はこじんまりとしたファンの会みたいな趣があったのだが、今回は初めてのお客さん、それも演芸じたい初めてかもしれないお客さんが多かった様子。
私みたいに何度か聴いている人間は「平蔵以外に何を聞かせてくれるのかなぁ。」と思って観に来ているけど、ラジオ聴いてきた人は「もう一度平蔵を聞きたいなあ。」と思って来ているわけであるから、両方のニーズに応えるように何か演るったって、これは大変だあ!
三味線を弾きながら語る「応挙の幽霊」の後、長谷川平蔵を演って、その後お祭りの話などをしながら「両国風景」(だったよなあ?)で締めるという流れだったように記憶しているが、平蔵あたりで客席に流れがやっと出来てきたような印象。
年配のお客さんも多かったので、やはり薀蓄的なお話の時の方が反応がよかったように見えた。
紫文さんもどこにターゲットを絞っていいのか迷いながら演っている感じもあったけど、こういう局面があってこそ、また何か新しい物が生まれたりするんだろう。
個人的には最後の「両国風景」(だったと思うんだけど・・。)が一番よかった。
三味線での出し物というのはどちらかというと落ち着いたもの、小粋なものが多くてこじんまりという印象が強いのだけど、これは高揚する感じでスケール感があってゾクゾクする。なんか「ロック」だわぁーと感じたのであります。

さて今回の目的はこのライブを見ることだけではなく「打ち上げ」というやつを体験してみることであった。
もしかして常連だけで盛り上がっていたらいやだなあーという不安もあったけれど、いったいどんなことをやっているのであろうか?という好奇心の方が強かったので、思い切って参加してみた。
慣れている人にしてみればバカみたいだけど、やはり内輪的な空気(と、予想される)の中に飛び込んでいくというのは、勇気がいることなのですよ。
自分の立ち位置のわからない場というのは・・・。
で、どのような会だったかといいますと、たいへん気軽な「立食パーティ」だったです。
紫文さんもお弟子さんの小寿々さんもとても気さくに話し掛けてくれるし、内輪っぽさはほとんど無かったので安心。
お料理も美味しく、デザートのアイスクリームまで出て女子的にも満足。
みんな和やかで楽しそうだった。
それにしてもこんなに出演者と観客が近くていいの!?
私の中には「芸をする人」と「見る人」の間にはかなりの一線が引かれていたのだけど、そんなものが軽く覆されていったのでした。
こういうのも「演芸」ならでは、なのかなあ。

さて今回のこぼれ話。
私は木綿の着物を着ていったが、紫文さんと近い距離で会話したときに「あれ、帯板はどうしたの?」と言われてしまったのである。
実は出掛けに探したのだが、引越しのときに仕舞い失くしたらしく見つからず、「ま、いいか。」と帯板無しで出てきてしまった経緯があったため、「うわ、バレちゃった!」的に私は冷や汗をかいていたのだが、横にいた友達は「わー、すっごいこと言うなあー。」とドキッとしてしまったとのこと。
なんでもちょっと色っぽいニュアンスを感じたそうだ。
紫文さんの言葉に他意はないとは思うが、言われてみれば「帯」という言葉にはそんな力がある。
裸足でいるときに、「あれ、靴下はどうしたの?」って言われるとか、ノーブラのときに「ブラジャーはどうしたの?」って言われるのとではまったく違う。
これが和の情緒ってヤツでしょうかネ。