志らくのピン「廓を語る」

約5ヶ月ぶりの演芸鑑賞なり。
年末から1月末まで引越しのためにいろいろと物入りでフトコロ寒く、気持ちにも時間にも余裕が無くてなんとなく行きそびれていたが、このごろやっと少し余裕が出来てきた。
てなわけで、鈍ってしまった落語脳のリハビリにと、中央会館での「志らくのピン」へ。
1000人規模のホール落語である。
ホール落語は噺家が遠いのでほんとはあまり好きではないが、盛り上がってきたときの一体感は寄席や一門会の比ではないので、それはそれで味があるもんだ。

今回の前座はこしら君。
彼を見るのはずいぶん久しぶりになるが、金髪ではなく黒髪で短髪になっておりスッキリしていた。
「子誉め」をやっていたが、前座なのであまり噺を崩さず比較的きちんとこなしていたので感心。
ハチャメチャぶっ壊れのこしら落語しか知らなかったので・・・。
今回のように場をわきまえて噺を「こなす」こしら君を見ていると、フニャフニャした現代っ子に見えて意外としたたかな素顔を見る気がする。

そして志らく師匠。
今回は「廓を語る」ということで、廓話を三題。
「付き馬」「文違い」「幾夜餅」
前の二つは初めて聴く噺だった。
「付き馬」では猛スピードの喋りにわけのわからないギャグをポンポン投げ込み、めくるめくジェットコースター落語。
私にとってはいかにも「志らく落語」的スタイルに思えたが、この辺までは慣らし運転だったように感じた。
「文違い」はキャラクターの演じ分けが見事だったのと、一つ一つのエピソードを丹念に繰り返していくことで、説明せずとも登場人物の置かれている立場が浮き彫りになってくるところがさすが!
ただ、演じ分けるときに声色を変えていたけど・・・これって実は落語では邪道とされる手法だそうだ。ま、いいじゃんね。
田舎者の男の「ウド鈴木狂言をやってるような声」がすごく可笑しかった。

今回一番興味があったのは「幾世餅」
貧乏な職人が花魁の錦絵に一目惚れし、一年間働いた金を貯めて会いに行く。その真心にほだされた花魁は年季が明けたら一緒になりましょうと約束し、約束どおりの日に職人の奉公先にやってくる。二人は結婚して餅屋を開き、そこで売ったのが「幾世餅」これが大変売れて店は繁盛し、末永く幸せに暮らしました。
というおとぎ話のような落語を、どんな風にやるのかと思っていたのだ。
私はこの噺があまり好きではなくて・・・というのは、幾世太夫の気持ちがいまいちわかんなかったからだ。
一応職人の一途な心に打たれる・・・ということになっているが、なんかねぇ・・・それだけの説明じゃあ人としていかにも薄っぺらい。
その辺をどんな風に掘り下げているのかなあと思っていたら、なんとあっさり「魔が差した」のだと。
こんなに軽い「幾世餅」、初めてだよ。
これが「志らく落語」なんだわねえ。
おいそれとウェットにはさせてくれない。
そこが私は好きだけど、これは意見の別れるところでしょう。
花魁と職人の恋物語よりも、周りのキャラクターのドタバタぶりの印象の方が強い、滑稽話のような「幾世餅」だったのでありました。

ひさびさに聴いたけど、やっぱり落語ってイイ。
噺も楽しいけれど、会場全体が「もっと聴かせて!もっともっと!」っていう雰囲気になっているときの空気がなんとも言えず好きだ。
そしてそれに応えて高揚していく噺家さんの姿を見るのも。

ところで今年は落語ブームの兆しあり、と各方面で言われているけどホントかな?