神楽坂まち飛びフェスタ

いやー、落語を聴きに行くのはものずごーーーーくひさびさである。
新しい仕事がやたらとせわしく、定時は17:30なのだがなんだかくたびれてしまって、家に帰ってちょっと横になるといつの間にか寝ている。
そんな日々であったのだ。
出張も多く、日々考えることも多く、なんだか落語を聴きにいく余裕が無かった。
そんなこんなの日々に忙中閑あり。
「神楽坂まち飛び」フェスタのイベントの一環として開催された志らく師匠の江戸落語座談会&独演会というのに行ってみた。
会場は神楽坂の毘沙門天ナントカいうお寺である。
ひさびさの落語なので着物を着ていきたいなーと思っていたのだが、一緒に行ってくれたインスト仲間のNさんはモデル並みの身長とモダンなオシャレを誇るヒト。
相手がオシャレだと、こっちも気合を入れやすい、ってんでひさびさに堂々と着物。
出かける相手がフツーのカッコだと、私ばっかり浮かれているみたいでチョット悲しくなっちゃうのだが、彼女と一緒ならそーいう気遣いは無いのでウレシイ。
お寺の中のお座敷のようなところの正面に、舞台のような場所があり、前半はそこで座談会。
しかし、この座談会がキツかった。
案外堅いオベンキョーな雰囲気である上に、参加者の評論家、大学教授などなどが質問にきちんと答えない。
「ちょっと外れるかもしれないけれど・・・。」
「関係ないかもしれないけどいい機会だから・・・」などと言いつつ、ぜんぜん違う話にしてしまう上、これまた長々喋りやがるのだ。
とにかくすべてを自分の土俵に持ってきてしまい、司会のヒトの意図した話とぜんぜんちがうことをえんえん話す。
会場もビミョーな雰囲気。
まあ、それぞれのファンも来ていたみたいなので、彼らのそうした振る舞いも必ずしも全員が退屈していたわけでは無さそうだけど、私はダメだったなあ。
そんな中で志らくさんに発言の順番がくるとパッと雰囲気が変わるのだ。
やはり「話すこと」を仕事にしている人は違うと思った。
ちゃんと質問に答えた内容を話すし、あまつさえ笑わせてくれたして、そのときだけ観客も雰囲気も和らぐ。
司会の人も進行がヘタクソだし、だったら志らくさんがやった方がよかったのに。
参加者の一人の落語評論家は、許されるなら落語家になりたかったそうだが、故あって落語は50年間捨てています、とか言ったりしてて、チャンスさえあれば自分も落語家になってたような口ぶりだったけど、あんなにお客の空気が読めない人じゃあダメだろう。
つらい苦しい1時間半がすぎ、後半は志らく師匠の独演会となった。
ネタは「松竹梅」「薮入り」
「松竹梅」では私の好きなあわてんぼキャラが健在でうれしい。
「薮入り」は先代の金馬にリスペクトして、ほぼ彼の演じていた通りにやってみるという趣向。
たまたま私はその金馬バージョンをCDで聴いていたので、二倍楽しめた。
確かにセリフ回しもそのままで、志らくギャグでいじったりもしていないが、やっぱり演じる人が違うとぜんぜん違うのねえ。
わが子を疑い始めた時の親二人の雰囲気が、金馬バージョンよりもブラックな感じだった。
それまで息子が帰ってくるのを気がおかしくなるほど楽しみにしてて、帰ってきた息子を見て感動してわけわからなくなったりしていたところからの落差が、志らくバージョンの方がちょっと人間に対する見方のイジワルさを感じた。
それにしてもこの「薮入り」という話、面白いのにあんまり演る人いないみたいね。
お盆の頃とかお正月とかにやればいいのに。
親心とはありがたいもの、という話なのかなと思いきや、息子の財布の中を見た途端コロッと変わってあっさり疑い始めちゃう親たちのなんと人間味のあること、リアリティのあることでしょう。
人間なんてこんなもんだよな、可愛いな、と思う。
とくにこの話に出てくる父親、可愛いよなー。
前半のダメ〜な気分も帳消しになり、会がハネたあとはいい気分で神楽坂で一杯やって帰りましたとさ。