震災前・震災後

元気って、もらったりあげたりするものじゃなくて、自分の中から出すものだよね?
元気が出るってのが正しい日本語で、「元気をもらう」「元気をあげる」ってのは、本来不自然な表現なのだけど、不自然ゆえに印象的なので、なんかのコピーに使われて、それでいつしか定着してしまった気がする。
震災後、いつもにまして使われる「元気をもらう」「元気をあげる」という言葉に、個人的には違和感。


そんなこんなで、ライブや演芸会、少しずつ復帰していますが、やっぱり震災直後は自分でも気づかないうちにけっこうダメージ受けてたみたいで、外に出て何か観ようという気分になれなかった。ショックというのではないのだが・・・といって自粛でもなく・・・なんだろう、忌中とか喪中にちかい気分かな。エンターティメントに触れる気分になれなかったのだ。

春風亭昇太 春の噺>
これは震災前に観た最後のエンターティメント。思えば平和な時期だった・・・。世田谷の、バブル期建築臭ありありのパブリックシアター、妙に天井が高くて神殿みたいな劇場で、落語。たまたままわってきたチケットで観たので、思いいれは特になかったが、この日初めて観る談春さんに興味があった。永遠のガキんちょみたいな昇太さんに、オトナ〜な談春さん。あんな「替わり目」聴かされて、「早く結婚したら」みたいな説教されたら、たまらんよね。子どもの頃はわからなかったけど、夫婦の小競り合いって、一種のコミュニケーションだったするのだな。プレイみたいなもの。そういう夫婦という関係のフクザツな味わいが感じた「替わり目」であった。
それに昇太さんの「花見の仇討ち」のマンガっぽさと軽さが対比されて、おもしろかったなあ。


<睡蓮>
震災後最初に見たエンターティメント。知人の知人のジャズダンスの先生が企画した講演とのこと。タイトルが堅い感じだったので、難解なモダンダンスをイメージしていったらさにあらず。テーマパークのダンスショーみたいなエンターティメントだった。わかりやすくて楽しく、なんたってヒロインが可憐でキレイ。妖精みたい。出てきたときからなんか違うオーラが出てて、どうしても彼女を目で追ってしまう存在感。パンフを見てみたら、韓国のプリマドンナだって。なるほど、格が違う感じがしたわよ。細くてしなやかで、抱きしめたら折れそうな・・・という表現がぴったりなのに、フルステージ踊り通すスタミナに、なんかエロスを感じてしまった。エロって生命力だよね。会場は六本木。同行者と帰りにお蕎麦屋さんで飲むが、店員がどう見てもインド人。メニューにタンドリーチキンもあり。ひとしきり呑んで、薄暗い道を乃木坂まで、ブラタモリの話をしながら歩いた。こんなに暗い六本木は初めてだな、と思いながら。


<山田晃士トリオ>
震災後、二番目に見たエンターティメント。この日もなんとなく、外出する気分になれずウダウダしていたのだけれど、こんな気分の日でも、晃士さんの歌くらい湿気があるモノなら聴けそうな気がして関内へ。節電のせいなのか、元からなのか、街が暗くてビビる。身の危険を感じる暗さ。STOMYMONDAYは初めてのライブハウス。狭いわけではないのだけど、なんだか狭く感じる不思議なフロア。よくみると決して狭くないのだが。
山田晃士さん自体が素材として完成していて強烈な個性の人なので、あとは組み合わせ次第というところがあり、ワンマンと流浪の朝謡がある以上、トリオの意義ってどこにあるんだろ?と思わないでもなかったのだが、今回見てみて「あ、見えてきたかも。」という印象。ワンマンのときはおもいっきり濃厚な世界観、流浪の朝謡はアグレッシブなクセモノ同士のバトル、トリオでは3人の「響き合い」の妙味。
なぜだか言葉が噛み合わない3人が、演奏ではミュージシャン同士の野生のカンで探りあい、響きあっていく様がすごくおもしろかった。打ち合わせはしているんでしょうが、なんか演奏がその場でできあがっていくみたいなスリルと一期一会感。なんで会話が成り立たないのに演奏が成り立つのか、音楽って不思議。
晃士さんの声を含めた3人の音色と存在感の「響き」や「重なり感」が良いので、歌が前に前に出る曲よりは、ちょっと抑え気味の曲のほうがこのユニットの持ち味が生きるように思った。「求人広告とエスプレッソ」、よかったなあー。うーむ。この編成で「フラミンゴブルーバード」やってほしいなあー。
正直、出かけてくるまで気持ちが重かったライブだったけど、行ってよかった。この日、私の「喪」が明けた。
あれから日本の空気はずいぶん変わってしまったけれど、相変わらず堂々と朗々と絶望を歌い上げる山田晃士ワールドになんだか安心し、震災度ほぼゼロのMCにも救われた。(お店のチャリティの告知は仕方なかったと思うけれど、あれはあれで、3人3様のキャラが出てて可笑しかった。)できれば、ライブのときくらい、忘れたいからね、地震のことは。世の中の「絶望厳禁」な空気感がちょっと重くて、希望を持つことを強制されるのもきつくて・・・という私のような人間には、彼の発散するキモの座った後ろ向きパワーや、歌詞の内容の「極私的」さもありがたい。

ところでこの店は楽屋が無くて、店の後ろの隅の方が出演者の控え場所。会話なんかも丸聞こえなのだが、晃士さんがかなりジェントルなのが意外だったッス。やっぱりステージはステージなんだな。

ノマドの窓

先週、東北関東大震災があった。その日は職場から帰れなくなり、事務所の床で寝るということに。
今週は停電の影響などもあり、仕事は一週間自宅待機。
テレビでもラジオでもネットでも、一日中地震の話。そして、福島の原発の動向。
実はほんとにほんとに大変なことになっているのだ。
節電のために薄暗くなった街を眺め、不謹慎ファシズムが台頭しそうな雰囲気を肌で感じるにつけ、「有事」なのだということを実感せずにいられない。
戦争が起こって、自分の住んでいる街からは離れたどこかが爆撃された・・・・というのはもしかしたらこんな感じか?
今回は自然災害だから明確な敵はいないのだけれど、地震津波、そして原発事故・・・とこれでもかという感じで日本に災厄が降りかかっている。おまけにみずほ銀行がまたシステム障害!おいおい!
不安から買占めが横行。おかげで私はお米が買えないまま、ウチでは麺類ばかりすするはめに。
でもまだ、どこかまったりと平和で。これが有事のリアルなんだなー。全国一斉に深刻な状態になったりはしないの。
原発事故VS自衛隊を見ていると、なんだかSF映画の中にいるような気分になってくる。
ゴジラ原発ゴジラなのではないか。放射能出してるし。


まあ、そんなわけで自宅待機なわけですが、企画を練ったり書類まとめたり、仕事そのものはいろいろある。
自宅でもできるのだが、難点は・・・自宅だと気が散ってさぼってしまうのですね。テレビもあるし、ネットも自由だし。
特にアイディアを練らなくてはならないようなときにどうしてもサボってしまうので、最近はノマド化を課している
ノマドとは遊牧民のことだそうで、ネットを駆使することで職場をさだめずどこででも仕事をするワークスタイル。カフェなどにノートPCを持ち込んで仕事するのが代表的スタイルだそうである。
とはいえ私のノートパソコンは持ち歩けるサイズではないし、バッテリもさほど持たない。となると、もうひとつのネット端末はiPhone。これもOffice系アプリケーションは貧弱だから仕事にはなあ・・・、と思っていたところ、ここ最近のクラウドサービスの発展ぶり目覚しく、ある程度は外でも仕事できるようになってきた。


さて、私が活用しているサービスはこんな感じ。


Googleドキュメント>
https://docs.google.com/
ワープロ表計算などのOFICCE系アプリケーションがブラウザ上で編集でき、自動でサーバーに保存される。なので、ネットにつながればどこでも編集可能。MS-OFFICEの形式で出力もできる。iPhoneではワープロ文書と表計算シートしか編集はできないが、閲覧だけはOKなので家で作ったものを出先で見ながら確認したりできる。今よく使うのは、簡単な文章の骨子をiPhoneでまとめておいて、自宅のPCできちんと編集という方法。便利ぃー。しかし正直、iPHONEの画面は小さいので、このスタイルを貫くならiPadがあった方がいいな・・・。
ただ、Googleドキュメント側にはまだ問題があるようで、Powerpointで出力したときに最新の保存が反映されていなかったり、日本語フォントが変だったり。でもまあ、許容範囲ではある。文書はとりあえずこれでまとめて、清書はMS-OFFICEで・・・というのが最近のお気に入り。作成したファイルをアップロードもできるが、ファイルサイズに制限があるみたい。

<ドロップボックス>
https://www.dropbox.com/
オンラインストレージサービスというもの。パソコンとiPhoneの各端末に同期フォルダを作って、開くたびに最新状態に「同期」する仕組み。見かけ上はサーバー上に共有フォルダを作ったような感じになる。パソコンで作ったファイルをフツーにフツーにドロップボックスフォルダに入れてしまえば、外でiPhoneで閲覧できる。編集はできないけど。資料などを読む時間が無いときにドロップボックス入れておいて、移動時間とかにiPhoneで読むということができて重宝です。
2GBまで無料で使えるので、私は今やっている仕事の大事なファイルをぜんぶバックアップとして移動させた。自分のパソコン内にあるより安全だと思うよ。
本来の使い方なのかはちょっと微妙だが、複数の人数でひとつのアカウントを共有すれば、メールで送ったりしなくてもいつでもお互いに同じファイルが見られて、編集もできて便利です。

エバーノート>
http://www.evernote.com/about/intl/jp/index.php
ドロップボックスと同じようなストレージサービスだけれど、こちらはドキュメントを扱うのではなくて、一枚ものの画面といいますか、メモ的に画面を保存する目的で使うもの。スクラップブックのようなイメージです。私はまだ使ったことはないが、音声メモも取れるとのこと。Webページや写真、自分の文章などをスクラップブックのように保存して、パソコンでもiPhoneでも見られる。そしてなんと、iPHONEアプリエバーノートでは文章を写真にとって保存すると、画像からテキスト認識してくれるらしい!まだ機能は試してないけど、ちょっとそれすごくない?
いまのところ、私はPC側のエバーノートでスクラップしたWebページの情報を外出時に読んでいる程度。

宅ふぁいる便
http://www.filesend.to/
これはiPhone関係ないが、テキスト作成などをしているとサイズの大きな文書もやりとりするため、お互いのメールボックスを圧迫してしまう。宅ふぁいる便は大きいファイルをやり取りするためのオンラインストレージサービス。ダウンロードしてもしなくても3日で消去されてしまうので、ちゃんとローカルに保存しないと危険よ。


私はインストなので出勤ありきだから100%のノマド化は不可能なのだが(でもUstreamを活用すれば、オンラインでマンツーマン講習もできることがわかったので、今後変わるかもしれない。)、今週はそんなこんなでご近所カフェでノマドごっこしているのである。考えてみれば私が子どもの頃から理想としてきた仕事のイメージって、コレだった。
80年代に描いたイメージだからパソコンは無かったけど、スーツ着た女性がカフェでシステム手帳開いてるイメージね。
まあ、現実はスーツではなくふだん着で、なかばスッピンなのだけどね。


こうしてみると、かなりのことが出勤しなくてもできてしまう。
鉄道の混乱で「出勤」ということについてあらためて考えた人も多いはず。
今回のことをきっかけに在宅勤務とかテレワークという考え方にシフトする企業も少なくないだろう。
どーですか、ノマド
でもまあ、なんで必死で出勤するかというと、上司が勤怠以外の人事評価の基準を持っていない場合が多いからなのよねー。なんとなく年功序列で管理職になった人は、それ以外で評価しろって言われると、たぶん困っちゃうのだろう。

あ、あと外でスマートフォンベースで活動する場合、不安なのがネットワークの確保。
私は気が長いので3Gでもそんなに不満はないのだけど、無料の無線LANスポットがあればやっぱりありがたい。
とりあえず今までご近所ウロウロした範囲では、千駄木サンマルクカフェ、上野桜木のカヤバ珈琲ではFONルーターが使えるので、iPHONEユーザーはWi-Fi利用可です。

谷中にゅーらいふ

というほどのことではないのだけども。
昨年より、あるプロジェクトにけっこう深く参画することになり、作成したり準備したり話し合ったりする時間が飛躍的に多くなった。
昼は普通に働いているので、そういったことは当然土日か夜になる。
さらにアコーディオンは相変わらず続けているので、フツーに練習はしないといけないし、続けている分いろいろとたのまれ事や出番も増える。
そんなこんなで生活がほとんどパンク状態に・・・というのが2月頭までの私。
ライブも演芸会も行けたモンじゃない。
いろいろ考えたが、総合的に考えると昼の常勤をやめても生活できそうなので、フリーでやることにしました!
ってことで、ちょっぴりにゅーらいふ気分。
自称フリーだったことは30代前半にもあったが、あの頃は明らかに食えていなくて、ほんとに米びつも財布も空っぽみたいな貧乏をした。しかし、今思えばいろんなノウハウも人脈も、あの頃つかんだんだよなあ。今もその縁が続いている人から仕事が来るわけで。
人生の答えなんて、2年や3年で出るもんじゃないのネ・・・。
今の私の生き方が、また10年後に違った答えをもたらすのだろうが、今はこのまま進むことにする。
自分的には思い切って・・・というよりは、機が熟した、という感覚だ。

ということで、2月いっぱいで仕事をやめるのだが、ありがたいことに有給休暇というものがありまして、今はそれを消化している最中。
あいかわらずいろいろあって忙しいが、毎日会社いって机の前に座ってなくていいので、飛躍的にストレスは軽くなった。その分、自分の頭で考えてものを書いたり作ったり提案したりということは多くなったけど、自分の采配でやれるので、中身は大変だけど気は楽なのだ。

そうしてやっと平日休みの身となりて、谷中散策を満喫できるのでした。
やっぱり谷中は晴れた昼間に限ります。それも平日ならなお良し。
カフェ発掘にいそしむ日々。


<おにぎりカフェ 利さく>
千駄木駅近くにできたおにぎり屋さん。テイクアウトもできるが、店内でも食べられる。基本的に注文してからにぎってくれるみたい。おにぎり2個と汁物でセットにできる。プラスでお惣菜もあり。がめ煮なんかがあるところを見ると、九州の人なのかな?
私は「たくわんと塩昆布」「鮭すじこ」を注文。冬野菜の豆乳スープとセットにした。おにぎりは美味しいけど、食べてみて気がついたことがある。私、にぎってから少し時間がたったおにぎりが好きみたい。にぎりたてだと、まだ「ごはんそのもの」って感じがして、米粒同士の一体感に欠けるのよねえ。あ、でも味は美味しかったし、これはこれでOK。私の個人的な好みというだけ。豆乳スープは白菜・ねぎ・しめじが意外にいっぱい入ってて、優しい味でこれも美味。
ちょっとだけおなかが空いたときに気軽に利用したい。できればおにぎりをツマミにお酒飲みたいと思ったが、ここは夜7時で閉まってしまうのだった・・・。


<YorimichiCafe>
根津のみずほ銀行の近くにある。北欧風インテリアのカフェ。けっこう広くて、店内に木の幹があったりミシンがあったり。カラフルなステンドグラスのランプシェードがかわいい。インテリアの配色は違うが、どこか映画「かもめ食堂」を連想させるものがある。散歩がてらコーヒーとチーズケーキをいただく。一口食べて、子どもの頃の記憶が蘇った。これと同じ味のケーキを食べたことがあるぞ、軽井沢で。「ル・レガラン」という町の小さなケーキ屋さん。小学校の頃なのでずいぶん昔だが、そこで食べたケーキの味にそっくりなのだ。当時の私には、いままで食べたどんなチーズケーキより美味しかったが、その後どこで食べても同じ味のケーキに出会えないので、軽井沢に行くしかないのか・・・、と諦めているうちに忘れていた味。重量感があるのにさっぱりしてて甘くない爽やかなチーズケーキ。ああ、ここに来れば食べられるのね!


<はしご>
谷中銀座のラーメン屋さん。店の前を何度も通っていたのだけど、入ったのは初めて。
その日はビールを2杯ほど飲んできていたので、なんかラーメンが食べたい気分だったのだ。
カウンターのみの店内。ジャズが流れて、モダンな絵が何枚か飾ってある。鶏肉入りのだんだん麺なるものを注文。
しょうゆ味のタンタン麺みたいな感じで、味がけっこう濃い目。言えばサービスでご飯をつけてくれるのを、お腹がそれほど空いていないので断ってしまったが、ご飯があったほうが美味しいかもしれない。
ゴマ油の香りが高い、ちょっと変わったラーメンだったな。


千駄木駅前のうどん屋さん>
店名忘れた・・・。最近できた新しい店。きのこうどんを食べてみた。ちょっと味付けしょっぱいかな。うどんとはいえ、つゆの味にパンチがあって、若い人向けな印象。胃が疲れたからうどんでも・・・という使い方には向かないかも。ラーメンを食べるような感覚で食べた方がいいうどんだった。なんか、メニューに主張がある感じ。


あとはかなりひさびさに谷中ボッサに行ってダークブレンドを堪能したり、コーツトカフェに再訪してランチを食べて予想外にお腹一杯になったり(私にとってカフェ飯って「少ない」ってイメージだったので・・・意外にボリュームありです。)、数年ぶりに弥生美術館に行ったり、そんな時間を過ごせるようになってみると、いままでの生活でかなり自分を失っていたところがあったんだなあ、と気がつく。徐々に自分が自分に戻っていく感覚です。うーむ。

その後メモ

続くとか書きながら、どうにもこうにも、日常が怒涛のように押し寄せて、ねえ。
三柴さんの後はアコーディオン関係のイベントが続き、観客のような主催側のような微妙なところ。純粋に観客としてみたライブを列挙しておきます。

<メルシー兄弟と従姉 下北沢440>
<テツ渦>
三遊亭兼好独演会>
ガンダム講談>
<メゾン・ド・フジ>
柴草玲@婦人・ド・ノエル>

谷中の外食新規開拓は
エスプレッソカフェ>
<くりや>

思い出しながら

10月もバタバタと過ぎて、はや11月。うっかりするとジングルベルも聞こえてきちゃう今日この頃。
10月はITパスポート試験があったり、自分とこのサークルのコンサートもあったりで、ライブなどに行く時間があまり無かった。
<詳細忘れたが、ウィーンフィルの人のトリオ公演@池袋芸術劇場大ホール>
知人が抽選で当たったので・・・と誘ってくれたもの。芸術劇場の大ホールって初めて行った。3階席まであるすごい大きな立派なホールなのね。お笑いとか演芸だと地下の小ホールだから、上のホールのことはぜんぜん知らず目ウロコ。ピアノ、チェロ、バイオリンのトリオで。まずはドボルザーク組曲(タイトル忘れ・・・)を6楽章までやった後、2部ではアラカルト的にクラシックの小品をいろいろ。花のワルツもあったりするかと思えば、五木の子守唄のアレンジものまで幅広く。そしてアンコールを3回もやってくれて、最後はなんとビートルズともりだくさんの大サービス。これから学校公演で全国まわるとのことだったので、全曲演っておきたかったのかもね。
ところどころで演奏者にインタビューがあって、子どもの頃のことを聞かれていたが、みな「ハイパーアクティブな子どもだった」と言っていた。通訳の人は「活発な」と訳していたけど、いわゆる「多動」の子どもだったってことだよな。ピアニストの人は親が心配していろんな習い事をさせたけど続かなかったのに、ある日地下室でおんぼろキーボードを見つけて夢中になること数年。親達は何年もそのことに気がつかなくて、ある日気づいてあわててピアノを習わせた、そして今に至ったのだそうだ。気づいてもらえてよかったねー。
この人たちは何回も日本に来ているのだが、純粋に音楽のために来ているということで徹底している。あるとき主催者が良かれと思って観光を企画してバスであちこち見せて歩いたら後で「気持ちはありがたいが、自分達は遊びに来ているのではなく、音楽のために来ている。二度とこういうことはしないでくれ。」と怒られたそうだ。おお、ストイック!
三柴理 プログレッシブコンサート>
最近、どんな人の生ステージを見てもさほど感激しなくなってきた東京病の私が、唯一生演奏にしびれるピアノ演奏家三柴理。いろんな人のサポートではよくステージにあがるものの、単独名義のコンサートはなかなかやってくれないので、今回はもう8月から予約して楽しみにしていた。

(年が明けましたが今さら追記・・・。)
この日は台風の直撃が予報されていた日だった上、あまりPRもできなかったそうで、お客さんが少なかったらどうしようと三柴さんも心配していたらしい。「少なかったら握手会にして終わりにしようと思っていた。」と。
プログラムはフィリップ・グラスに始まり、オリジナル曲、耳馴染みのあるクラシック取り混ぜて。でも基本的に現代曲が多くて、三柴さんも現代曲が好きらしい。なんか「すげー、おもしれー!」って思うのが彼のヒットポイント。フィリップ・グラススティーブ・ライヒを「ミニマルミュージックという商売で当てた人」と紹介したり、リゲティの「100台のメトロノーム」という現代曲のことを目をキラキラさせて話したり、現代曲を含めたクラシック音楽に対するユニークな視点に甚だ共感。現代曲っていろいろ理屈はあるんだろうけど、まず「何これ?!」的な面白さがあるよね。
三柴さんはけっこう高校時代に「ラジオを聴いていたら偶然・・・・」「テレビを見ていたら偶然・・・」という形で現代曲や現代アートに出会っているみたいだったが、私もそうだった。フィリップ・グラスを知ったのは「ミッドナイトアートシアター」という深夜の映画番組で放送された映画「コヤニスカッティ」を録画して観たら、音楽が彼だったことから。20年前はけっこう、田舎で普通に暮らしていても(三柴さんは東京出身だけど。)、現代アートやアートっぽいものに触れる機会ってけっこうあった。おそらく西武グループの作り出した「セゾン文化」が一番元気だった時代だったんだろう。三柴さんと私はほぼ同世代なんで、同じところを通り抜けてきた部分もあるんだと思う。「企業メセナ」なんて言葉もあったな。企業が芸術にお金を使うのがステイタスだった。私にしてみればそこらへんが原点で、生活と芸術が渾然一体となるのは当然の感覚だったのだが、時代は変わってしまいましたね・・・しょぼん・・・。
話がそれたが、高校時代までクラシック一辺倒でロックを聴いたことがなかった三柴さんが「ロックは8ビートである」という強引な解釈で作った初めてのロック「上半身ガール」の疾走感が印象的だった。ロックというより、怪獣映画のBGMっぽい。
前半はピアノ一本、後半は「金鶴」名義でシンセサイザーが少し入ったけど、私はやっぱりピアノ一本で勝負する三柴さんが好きですねえ。ストイックで、なんか「漢」って感じ。それから、見ていて「この人、本当にピアノが好きなんだな。」というオーラがびしびし伝わってくる。気持ちいい。超絶技巧のピアノ、クラシックのマニアックトーク、そして愛される人柄。ぜひぜひ、単独ライブをまた!

現代曲は言葉で説明できないので参考のために動画を。↓

リゲティ「100台のアコーディオン」の動画。雨の音みたい・・・。ザッツ・ポリリズム

グラス「浜辺のアインシュタイン」。三柴さんが「リズムを口で言っている曲。」と言っていたのはこれか。

ビデオジャーナル56

最近、NHKで「洋楽倶楽部80's」がレギュラー番組化してくれて、とってもうれしい。
80年代は中学高校大学・・・とティーンエイジャーの時期をほとんどカバーした年代なので、リアルタイムであの多感な時期の思い出と重なるのはこの頃の音楽。もー毎週楽しみで、お酒を準備してテレビの前に鎮座し、番組見ながらつぶやきまくるのがもっぱらの楽しみ。
しかし最近気になっているのは、これよりちょっと前の音楽。70年代のポップス、それも女性ボーカルだ。
80年代にはカセットデッキなども手に入れていたので、ある程度自分の聴きたい音楽を聴きたいときに聴けたけど、70年代はまだ子どもだったので、洋楽というのはテレビCMであったり偶然かかっていたラジオではからずも耳にするものであったのだった。
それらは私にはずいぶんオトナの音楽に聞こえていて、いいかげん中年になった今聴いても「お姉さんの音楽」って思ってしまう。それもなんとなく「きれいなお姉さんが聴いてる音楽」というイメージ。
最近思い出すきっかけになったのは、昔妹がエレクトーンを習っていたときに使っていた「FUNFUNFUN」という楽譜集にシャーリーンの「愛はかげろうのように」が載っていたこと。この曲自体は80年代になってからのものなのだけど、私の印象としては70年代の女性ボーカルに近かった。
80年代以降だとマドンナ、シンディ・ローパーに代表されるように「女だって欲望のままに楽しみたい!」とアグレッシブだ。70年代の女性って、もっと控えめなイメージ。髪も長くてほっそりしてて、とても女性的。いや、マドンナはあれはあれでとても強烈に「女」なのだけど、70年代女性ボーカルに共通して感じるキーワードは「フェミニン」だ。線が細くて、「運命には流されてしまう」的な。「愛に生きる女」的な。
で、そんなにキメキメにオシャレってわけでもなく、どっか野暮ったさや緩さがあるのがむしろオトナっぽい。
あと、どこか翳りを感じさせる。

「そよ風の誘惑」の頃のオリビアニュートンジョンも「フェミニン」
日本だと、いわゆるニューミュージックの頃の女の人の感じ。
杏里の「オリビアを聴きながら」のオリビアは彼女だそうだが、あの歌に出てくる女の人がジャスミンティー飲みながら聴いてるのはこのあたりの時期の曲だろう。決して「フィジカル」「ザナドゥー」ではあるまい。

この「フェミニン」な感じって、80年代以降にはびっくりするほど無くなっちゃったよなあ。
それでもって、今もさがしてもどこにも無い。
リビアも80年代以降「フィジカル」なんか歌う頃には、立派に「The 80's」なアクティブな女になってしまった。
そうだ、今の時代には「お姉さん」が足りない!「お姐さん」や「おねえちゃん」はいっぱいいるけど、「お姉さん」はいない。いくつになっても「女子」と自称してはばからないアラフォー世代、その下の世代になるとやや女性性を封印ししがちだし、ライフスタイルのキーワードになるのは「ガーリー」だもの。ミステリアスな憧れの年上の女性「お姉さん」は絶滅危惧種ではないか。
んで、私にとって、そんな「お姉さん」ボーカルの代表格はキャロルキングです。フェミニンというにはちょっと男気があるかもしれないけどね。80年代以降の女子の男気とはまた違うよね。

80年代から女は急にめきめき強くなって、できることも増えて、言いたいことも言えるようになって、欲しいものは買えるようになった。
でも80年代以降よりも、70年代の女性ボーカルの方にのびやかさと自由さをより感じるのはなんでだろー?
その謎にせまるべく、そんなわけで、ちょっと私の中では「お姉さん」ブームです。

続きは、とか言いながら

またまた間が空いてしまいました。
この夏はほんとうに体に負担が大きかったらしく、とにかく眠くて。
パターンとして、自宅にいるとまず22時頃大きな眠気が襲ってくる。
そこでちゃんとお風呂入って寝ればいいのに、ちょっと横になろう・・・ってパソコンの前で寝転んで、気づけば深夜2時、3時ということの繰り返し。
こないだまで暑かったからいいものの、この数日同じことしてたら、たちまちちょっとノドが変・・・。

んなわけで、お笑い系のライブには行けてないのですが、その後見たのはこの二つ
<銀座アコーディオン音楽祭&国際コンクール>
<御喜美江 アコーディオンワークス>
ぜんぶアコーディオンがらみですね・・。
最近ライブやコンサートに行くと、出し物そのものに加えて、その会場ですごす時間全体が気になるようになってきた。
美江さんのリサイタルは浜離宮朝日ホールだったんだが、休憩が20分あってその間、ロビーにあるカウンターで飲み物と軽食が摂れるスタイルなのがよかった。ワインとビールもあったりして。(この日は飲みませんでしたが。)
「会場ですごす」という時間もふくめてひとつのイベントとして楽しめるのがベストなんだよなあ。これはこのリサイタルだけが特別だったわけではなく、ホールがそういう作り(ドリンクカウンターがある)になっていたから、ということもあるんだけどね。観ることと飲み食いすること、私としてはナチュラルに共存してほしい。するてーと、寄席っていうのはそういう意味で、ひとつの理想的な空間ではあるのだな。
アコーディオン音楽祭とコンクールはスタッフだったりしたので客観的なコメントは難しいが、アコーディオンのすべてを見せきったという意味で画期的なものだったと思う。
そーなんだよね、アコーディオンって、なんでもあり。どんなジャンルの曲もできる。
でもアコーディオンというだけで、同じステージに集結できて、だれも不思議に思わない。
ギターやピアノ、あるいは他の楽器でそれができるものがあるかというと、無いであろう。もっとジャンル間の壁は厚いはずだ。逆に言うと、それだけアコーディオンという楽器がマイノリティだということになっちゃうのかな???
確かにまあ、私は習っているから回りにアコーディオン持ってる人が多いのであって、普通に暮らしている人にとっては「誰でも知っているが、誰も持っていない楽器」ってところだろう。
「やっと同じ楽器をやっている人に会えた」ということで、アコーディオン奏者同士は仲良くなる傾向にあるのだそうな。(美江さん談)

さて、谷中周辺の新規開拓。
<一寸亭>
いわゆる普通の町の中華料理屋さん。谷中には意外とこのタイプのお店、多い。地元の人が家族で食べに来るような。昔はこういうお店がファミレスみたいな役割をしていたんだろう。自分が子どもの頃を振り返ってみても、そんな気がする。野菜不足を痛感していたのでタンメンを注文。ごく普通においしいラーメンだった。このごく普通がありがたい。ラーメン屋って求道者チックなのが幅をきかせてて、疲れません?考えてみればラーメンごときに、そんなに真剣に対峙したくないよね。休みの日の昼間に行ったのだが、家族連れが二組遅めのお昼ご飯、40代かな?というカップルが一組、昼からギョーザとビールというリラックス感。ふだん着のお店だね。気楽に美味しいものを食べたいときに便利なお店。店の半分が小上がりってのも、なんか懐かしい。子どもの頃、たまの外食に家族で行ったお店をいろいろ思い出した。あの頃、ほとんどの店にあったなあ、小上がり。次回は餃子食べよう。(今、脳内に谷根千餃子マップ作成中なのだ。)
<COUZT CAFE>
とある試験勉強をしたくて、うちだとついつい居眠りしちゃったりするので、どっかカフェで・・・と探してぶらぶらしていたときに見つけたお店。中を覗き込んでいたら店員さんが声をかけてくれたので、入ってみることに。谷根千界隈にはめずらしい、北欧風すっきりインテリアのカフェ。どっちかというと東京の西の方の雰囲気(代官山とか広尾とか)。洋服や雑貨も売っている。で、うれしいことに空間が広い。勉強や読書をしたいときって、お店が広い方が適度にパーソナルスペースが保てるのでいいのよね。スコーンと紅茶でひとしきり参考書を読む。紅茶はたっぷり3杯分。スコーンも熱々、ざっくりした感じで美味しかった。ジャムはルバーブ。初めて食べた。
パソコン持ち込んで仕事?している人もいたので、割と長居しても許される感じなのかな。お値段はこの周辺にしては高めの方だけど、あの広さと雰囲気なら私は納得。

ところで、私が一番よく利用するカフェは千駄木サンマルクである。この辺りにはいい雰囲気のカフェがいっぱいあるのは知っているんだが、「広さ」を求めるとこうなってしまうのよねえ・・・。